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クリスマスの起源と日本への浸透

画像の著作権はthe Aki’s blogに帰属します。

クリスマスの起源と日本への浸透についてお話ししたいと思います。

 クリスマスは、キリスト教の祭日であると同時に、世界中で楽しまれている文化的なイベントですが、その歴史や意味はどのように変化してきたのでしょうか。また、日本ではどのようにしてクリスマスが定着したのでしょうか。それでは、一緒に見ていきましょう。

 

クリスマスの起源

 クリスマスという言葉は、英語で「キリストのミサ(礼拝)」を意味するChristmasに由来します。キリスト教では、イエス・キリストの誕生を記念する降誕祭として、毎年12月25日に祝われます。しかし、この日付は、聖書に基づいたものではありません。実は、イエス・キリストの正確な誕生日は不明であり、様々な説があります。

 

 では、なぜ12月25日がクリスマスとして定められたのでしょうか。その理由は、古代ローマ帝国の宗教と関係があります。古代ローマでは、12月25日は、太陽神ミトラスやソル・インウィクトゥス(無敵の太陽)を祀る冬至の祭でした。この祭は、太陽の復活や新しい年の始まりを祝うもので、ローマ帝国の人々にとって重要なものでした。

 

 4世紀になると、ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認し、キリスト教が広まり始めました。しかし、太陽神の信仰も根強く残っていました。そこで、キリスト教会は、太陽神の祭と競合しないように、12月25日をキリストの誕生日とすることで、キリスト教徒と非キリスト教徒の間の対立を避けようとしたと考えられています。また、キリストを光に例えて、太陽の復活はキリストの復活という解釈も行われました。

 

 こうして、12月25日は、キリスト教の降誕祭として定着し、西方教会では354年から、東方教会では380年から祝われるようになりました。ただし、一部の東方教会では、旧暦の12月25日に祝うため、現在の暦では1月7日になります。また、アルメニア使徒教会では、1月6日に降誕祭と神現祭(キリストの洗礼を記念する祭)を同時に祝います。

 

 

クリスマスの日本への浸透

 日本では、キリスト教徒の割合は全体の1%程度に過ぎません。にもかかわらず、クリスマスは日本の文化として広く受け入れられています。その背景には、歴史的な経緯や商業的な戦略があります。

 

 日本にクリスマスが伝えられたのは、16世紀にキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが来日したときとされています。ザビエルは1552年に山口で降誕祭のミサを行ったといわれています。しかし、江戸時代に入ると、徳川幕府によってキリスト教が禁教とされ、クリスマスも消滅しました。

 

 明治時代になって、禁教令が解かれると、キリスト教が再び日本に広まり始めました。1900年には、明治屋が銀座に出店し、クリスマス向けの商品や飾り付けを行い、話題となりました。1910年には、不二家が日本独自のクリスマスケーキを販売しました。1926年には、大正天皇が崩御し、12月25日が祝日となり、クリスマスが一般に普及しました。

 

 第二次世界大戦中は、クリスマスは忘れられたイベントとなりましたが、戦後はアメリカの影響を受けて、クリスマスが復活しました。1950年代には、ケンタッキーフライドチキンがクリスマスのメイン料理として売り出し、大ヒットしました。1960年代には、テレビや映画でクリスマスのイメージが広まり、恋人や家族と過ごす日として定着しました。1970年代には、デパートやホテルでクリスマスイルミネーションやイベントが開催され、クリスマスの商業化が進みました。

 

まとめ

 今回は、クリスマスの起源と日本への浸透についてお話ししました。クリスマスは、キリスト教の祭日であると同時に、世界中で楽しまれている文化的なイベントです。その歴史や意味は、時代や地域によって変化してきました。日本では、歴史的な経緯や商業的な戦略によって、クリスマスが定着しました。日本独自のクリスマス文化もありますが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

 

 クリスマスは、今年もやってきます。皆さんは、どのように過ごす予定でしょうか。クリスマスの歴史や意味を知ることで、より一層楽しめるのではないでしょうか。それでは、メリークリスマス!

お楽しみ頂けたら幸いです("⌒∇⌒")また、来ていただけると嬉しいです。